2012.10.31
今回の事で、普段からお客様が出産祝いを贈るお手伝いをさせていただいてきた私ですが、新たに学んだ事が多くありました。
私自身、7年前に長男を授かりあの時もすごく心配して、すごく喜んで・・・とほとんど今回と同じだったと思います。そして、今回は2人目だからといって心配が減るわけでも、嬉しい気持ちが小さいという事も全くなく、初めて子供を授かったときと同じように大騒ぎをしてしまいました。
私はそれが少し恥ずかしく思い、歳をとってほとんどウチに来る事も無くなっていた親戚のばあちゃんが赤ちゃんの顔を見に来てくれた時に言いました。
「二人目らっけね・・・」(二人目だからね・・・)
なんとなく発した言葉でしたが、自分なりにいろいろな意味を含めた言葉でした。
しかし、ばあちゃんは言っていたのですが、
「次男とか関係ねえ。人が一人生まれて来たんだがんね祝ってやらんばだめらこてや。」
(人が一人生まれて来たんだから祝ってあげなきゃでしょう)
私はこれこそ出産祝いの言葉だと思いました。
いえ、ただ私が深読みしすぎただけなのかもしれませんが、赤ちゃんがこの世に誕生し、初めて見る世界の人達が「あなたの誕生を歓迎するよ」と、迎え入れてくれるというなんともいえない安心感を感じる言葉でした。
出産祝いというのは、まさしくこの気持ちを伝える為のものであり、近くにいようと、離れていようと、生まれて来た赤ちゃんに対して「歓迎」する気持ちが一番重要であると感じました。
ロイヤルスプーンは、お祝いを贈るお客様の「おめでとう」の気持ちを大切に、それを当店に任せてくれたお客様の気持ちがちゃんと伝わるよう努力してきました。
そして私自身も刻印する名前を授かった赤ちゃんに対して「おめでとう」という気持ちが大切なんですよね。
ロイヤルスプーンは、君の誕生を歓迎しますよ!
生まれてきた赤ちゃんたちが大きくなって素敵な世界を創りだす事を期待しています。
2012.10.30
長い長いつわりがはじまる頃、長男に「実は・・・」と赤ちゃんができた事を話しました。
長男はずっと弟か妹を欲しがっていたので、なぜか照れるようにニコニコと笑いながらただ黙っていました。
妻がつわりの間は、私と長男と二人でスーパーに買い物に行ったり、
休日も二人で過ごす事が多く、「ママ大好き」な長男にとって寂しい思いをしたはずでしたが、文句一つ言わず、いつもは言われなければやらない手伝いや、宿題なんかをテキパキとこなして、がんばっているようでした。
今月の出産の時は、それはもうあわてたものです。
私は長男の時に、出産に立ち会っており陣痛から出産までの流れを経験しているのにもかかわらず、朝の4時に妻が「おなかが痛い・・・」と言い出した時には、
飛び起き、寝起き数秒で無駄に慌ててしまいました(笑)
今回も出産に立ち会ったのですが、陣痛から出産までの長い時間にいろいろな事を考えたりするものだと思っていたのですが、(前回もいろいろ考えてたと思っていたのですが・・・)7年ぶりの出産というのもあって、とにかく無事に産まれてくる事だけを祈っていました。
祈ると言っても妻が苦しんでいる横で、手を合わせて事はできるはずもなく、
「俺は落ちついている・・・」という無言のアピールをしながら、ずっと黙って腰をさすっていました。
出産が近づくにつれ、どんどん苦しそうにする妻に対し、腰をさする以外にできる事はなく、他にできる事といえば、「俺は落ちついている・・・」という無言のアピールのみ。
分娩台の頭側に立ち、ただ妻の手を握っていました。
何度も「どうか・・・」とか「神様・・・」という言葉が頭に浮かんだのですが、なぜか頭にその言葉を思い浮かべるだけで涙があふれてしまいそうになり、急いでその言葉をかき消し、「大丈夫。大丈夫。・・・」と、自分に言い聞かせるように口していました。
次男が誕生したのはもう夜でした。
朝の4時に飛び起き、急いで病院に行き、産まれたのはもう9時をすぎていました。
赤ちゃんの姿を見たとたん、涙が溢れるものだと思っていたのですが、私の場合、妻への労いと尊敬の思いが溢れ、妻に抱かれる赤ちゃんをただただ安心して見つめていました。
赤ちゃんの誕生から数時間後、一度私だけ家に帰り入院の為の道具を取りに行くことになり、一人病院を出て車に乗り、エンジンをかけ真っ暗な道を走り出しました。
走り出したとたん、ずっと力の入っていた様子の肩から力が抜け、「はぁ〜・・・」と安堵の溜息と同時になぜか泣けてきました。
涙が出て来たのではなく、泣けてきたんです。
帰りにコンビニに寄って、遅い夕飯でも食べようと思っていたのですが、
コンビニまでには泣き止まず、というか泣き止めず、寄らないでまっすぐ家に帰りました。
続きはまた明日
2012.10.29
我が家に二人目の子供が誕生しました。
長男の誕生から実に7年の時が経ち、
まわりから「そろそろ二人目?」というような声も聞こえなくなった頃でした。
長男誕生当初、夫婦で「2〜3歳離れたくらいで次の子供が欲しいよね」
などと話していたのですが、長男誕生後に私自身にいろいろな事が起こり
ついには「もう子供は無理なんじゃないか・・・」とまで思うようになっていました。
いろいろな事とはどのような事が起こったかというと、
私自身の病気でした。
ある日、健康診断の結果がよくなかったというので
病院に行くと、血液検査をした後結果が出るまで待つよう言われました。
平日の午前中の事で、午後には取引先に行くためにアポイントも取っていました。
しかし、血液検査の結果、病院の先生に言われた言葉は
「このまま入院していただきます!」でした。
家から車で2〜3分の距離にあるにも関わらず、
着替えを取りに帰る事すら許されず、家族を呼ぶように言われました。
自分では全く体調が悪いという意識もなく、症状もなくといった状態でしたので
ただただ驚いたものでした。
その後、2度にわたって入退院を繰り返し
今はすっかり良くなったのですが、退院の際に
「子供を作ろうと思っているなら、少し時間を空けた方がいい」と言われました。
その翌年には、仕事でも大きな変化がありました。
それは私自身も非常に大きな負担となるものでした。
数年後、病院で「もう大丈夫でしょう」と言われ
第二子ができる事をずっと待ち望んでいたのですが、
なかなかそう簡単にはできるものではありませんでした。
あまりに長い間、なかなか赤ちゃんができなかったので夫婦の間では
「赤ちゃんていうのは親を選んで産まれてくるっていうから、
私達はもう選ばれないのかもね・・・」なんていう話も出ていました。
長男も小さい頃は、兄弟のいる家に遊びに行くと
「いいなぁ〜弟がいて。」と言っていたのですが、
あまりに長い間赤ちゃんができず、
その理由さえはっきりと説明してあげられなかった為か、
いつの間にかそういう話をするのを控えているような態度を取るようになっていました。
実は私自身も「もうダメなのかも」と諦めかけていたのですが、
なんと今年赤ちゃんができている事がわかりました。
・・・まぁ、その、大喜びしてしまいました。
大喜びといっても、普通に笑って「そうか!そうか!」と喜んでいたのですが、
実は密かにものすごく気持ちを抑えていました。
もし、仮に感情を爆発させるほど喜んで
その後、万が一という事があった場合に妻がどのように思うかと思うと
あまり派手に喜ぶ事はできませんでしたが、
実は一人で車に乗る度に、涙が出るほど嬉しかったんです。
毎回、仕上がった銀のスプーンを工場に取りに行く時、
一人で車を運転しながら、ちょっとだけ感情を開放し、
家が近づくと気持ちを抑えて抑えて、涼しい顔をして帰っていました。
つづきはまた明日。